先の近藤先生はこれを治療はムダで良質な生活時間を短くするだけだと断じている。このように考えると悔しい。やはり治療が功を奏し更なる体力の低下を防いだと考えたほうが気分は良い。
病のことは分からないことばかり。すんだことを悔やみながら死にたくない。過ぎたことはその時のベストの選択だったと考えよう。
年のせいか、病気になったからか、時々やり残していることで頭がいっぱいになる。寝床でこの状態になったら最悪である。芋づるしきにいろんなことがでてくる。一時間ぐらいはあっという間である。
思い浮かぶのは、やはり体が弱ってきたらどうするかということが多い。自坊の作務や建物の老朽化への対策などDIY で対処してきたことである。プロに頼めば良いのだが、体力が回復すれば少しは自分でできると思うので始末にわるい。
今のところこの程度のことで、大した問題ではないのだが心中はスッキリしない。それに終活も考えないかんころかと思うとうっとうしいかぎりだ。
年寄りには、夢とロマンに胸おどらせるのは無理なんかなあ。調子の良いときに、希望あふれる楽しい夢を見たいもんだ。こんなこと思って・・・おやすみなさい。
幸太郎 九拜
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