樹木との付き合い
お寺に樹木はつきものである。しかも、古いので木も大きくたくましい。わが貧寺では庭師を頼むこともままならず、適当に剪定している。建物に接するところは毎年枝を詰めているが、その内こちらが出来なくなる。
こちらの体力の低下と樹木の成長の交点を見極めねば、プロにお願いする事になる。その判断する時期が一時に来ているように思う。
14年前の2008年に松の木の横にウッドデッキを作った。当時は木とデッキの隙間もそこそこあった。デッキの屋根は母家とは分離しているので、その固定に重宝している。木陰ができるし景観も良い。
いつか忘れたが幹が成長してデッキに触りそうになったので、床板を切った。その後気にならなかったが、ふと目をやればデッキに接触しているではないか。幹にはガサガサした樹皮があるので、まだ、デッキに力はかかっていない。ということで、2、3センチ再度板を切った。
この松とデッキの関係もどうするか考えなければならない。適当な時期に松の枝を落とせば、立ち枯れ状態になる。腐食・防虫をうまく処理すればモニュメントにできる。
とにかく、命あるものとの付き合いは考えさせられる。諸行無常とおさまって居られない。
昨今の政とはちがう。自然相手に後手は通じない。生にやり直しはない。その源は時間軸上の決断の連なりと先のビジョンではないか。
自然は容赦なく迫ってくる。夜中に小用のあと、これが頭によぎれば二時間ぐらい眠れない・・・それは別の問題ではないかね・・・頭は自由だ・・・空を飛びまくり・・・窓際の薄明かり、いつもの様に夜は開けた・・・毎日、やれ やれ ・・・。
セコメントをする